悲しみと向き合う

【英知の言葉】古くから、人は愛する人との別れを嘆き、悲しんで来ました。古今東西のグリーフの表現は、豊かで、幅広く、先人の英知に満ちています。この英知のセクションには、先人の考えた、死とは何か、生とは何か、悲しみと向き合うとはどういう事か、といった見識が含まれています。言葉にならない悲しみに、言葉を与える作業に貢献できればと考えています。
まだまだ小さなコレクションですが、グリーフに関連する英知の言葉を集めています。数が増え次第、カテゴリーも増やしていく予定です。

大きな岩はポケットの中の石ころになる

「この痛みはいつかなくなるのかしら。」

「いいえ、無くなる事はないだろうね。少なくとも私からはこの11年間、無くなってはいないよ。 ただ・・・変わっていくわ。 」

「どんなふうに?」

「上手くは言えないけどね、その重さと言ったらいいのかしら。耐えられる重さになる時が来るのよ。その下からはい出る事の出来るようなものになり、そして持ち運べるようなものになる。ポケットの中の石ころのようにね。たまには忘れてしまう事もある。でも、ふとポケットに手を入れるとそれはそこにあって「ああ、やっぱりここにあるんだ」って思う。酷い気持ちになる事もあるけど、いつもってわけじゃないの。それが好きになるってことじゃないけど、それは息子の代りにそこにあるわけだからさ・・・亡くなってしまっては欲しくないわけ。そうしていつも持ち運んでいるわけ。無くなりはしないけど・・・まあ、大丈夫になるわけ。 」

(映画「ラビット・ホール」より、自身も子供を亡くした事のある母と、新たに子供を亡くした娘の会話)

選択肢

死別は選択の余地がないが、悲しむ営みはそうではない。
(トーマス・アティッグ)

乗り換えの多い旅

「乗り換え、乗り換え ― 。体力下降、気力減退線にお乗り換え願いまあす」
その連呼を耳にとめて、人ははっと我に返る。 そうか、ここで乗り換えしなくちやならぬのだ。いつまでもこの線でいいと思っていたのは、誤りであった。ここから別の支線(それがあるいは本線・幹線かもしれぬ)に乗り換えて生きなくてはならないのだ。 人はあわてて荷物をまとめ、発車間際の電車から飛び降りるのである。 そうやって、乗り換え乗り換えして乗り継ぎしつつ、終点までやっていくのが、人間の 一生なのかもしれない。(中略)
乗りおくれ、乗りまちがいに気付かない人は、いつまでも停まったままの電車にとどま って、行先の見当もつかず絶望のまま、じだんだ踏んでいるということになる。(中略)
ことにその乗り換えが辛いのは、人と死別したとき、また、愛を失ったときではなかろ うか。 愛する者との仲を死で裂かれる、これはたぐいもない運命の理不尽である。その人といつまでも同じ電車に乗っていられると思いこんでいたのに、自分だけ、乗り換え駅で乗 り換えなければならない。どうしようもない。 一人で乗り換えた支線は心ぽそく淋しく辛く、いつまでも慣れない。ありし日の思い 出、昔の夢に涙するばかり。あたりに気をくぼる余裕もないであろう。 そのうち、ふと、涙のあい間に、窓の外の景色に目をやるようになる。外は快晴である。個人の悲しみなど知らぬ気に、晴れやかな眺め。それにふと心奪われたとき、まさにそのとき、 「乗り換え- 乗り換えの方はお急ぎ願います」 という声。
悲しみからやっと立ちあがったとき、その人は、乗り換えて別の人生を生きるわけであ る。

田辺聖子「乗り換えの多い旅」:暮らしの手帳社 2002

人間は光のある方に向かうものだ。
(東日本大震災被災者、一か月目の言葉)

死と向き合えない人々

彼らは配偶者の死に接して見るまに気力を失い、自分の人生を身の毛もよだつような「死を待つ待合室」に変えてしまう
(「慰めの手紙」ヘンリ・J・ナウエン,聖公会出版)

悲しみに言葉を

悲しみに言葉を。語られない悲しみは、いっぱいになった気持ちをひそひそ語り、心をうち砕くよう命じる。

(シェイクスピア:「マクベス」:福田伍存訳『シェイクスピア土新潮社、1968)

逃げることは対処する事

たとえば、シカはオオカミを見たら走る。これを、逃げたのではなく、脅威と闘い、正しく対処している姿だと肯定することだ。息継ぎのために立ち止まることも、正しい対処法だ。
(モシェ・ファルヒ :イスラエルのトラウマ治療専門家)

忘れることは上手に思い出す事

「夫を忘れようと努めている」という彼女の言葉の本当の意味は、夫を取り戻したいという空しい望みを捨 て、最初の一年間のようにただ夫をなつかしがってばかりいるのをやめることにありました。夫人は幸せい っぱいの四十四年間の結婚生活を忘れようとしていたわけではありません。その思い出は彼女にとって何物 にも代えがたい貴重なものです。でも、夫人は悲しみのもたらす苦しみから解放されたい、自分を過去に閉 じこめたままにしてお-空しい願望から自分を解き放したいと決心しました。
もしあらゆる記憶を消してしまったとしたら、愛する人とともに過ごしたすばらしい時間の意味をすべて消し去るだけでなく、故人の人生の意味自体を消し去ってしま-ことになってしまいます。実際のところ、忘れるということは「じょうずに思 い出す」ことを意味しているのです。
(キャサリン・M・サンダース「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」)

変えられないものと、変えられるもの

神よ、自分に変えられないものを冷静に受け入れることができますように。そして変えられるものを変える勇気を私にお与え下さい。また、変えられないものと変えられるものとを見分ける知恵を私に授けてください。
(ラインホルド・ニーバー)

希望を持つ

希望と期待とは違います。期待とは予測であり、まだ起こっていないことをあたかも起こったように思うことです。希望は願望とも違います。願望はかなえられそうもないことを思い、つらい現実から逃避して何かが起こることを待つことです。希望は不確実性の中で謙虚に努力し、恩寵を受入れることです。希望は、人生の暗闇の中においてさえ、善を希求し、受容的に解消し、耐え忍んで善を育みます。
希望を持つとき、私たちは人生で一番良いことを歓迎し、それに向かって努力します。たとえば、日常の慣れ親しんだ物の中に、他者との繋がりの中に、思い出、故人の残した物、冒険、成長、変革、喜び、恩寵、そして宇宙の偉大なる体系に、価値を見出し、耐え忍ぶことです。

(トーマス・アティッグ講演:2009年12月4日、四谷幼きイエス会ニコラバレホール、GCC主催)

愛する者の死を避ける事は(まず)できない

そういう”徳”は私達には無いわね。

(管理人の妻の一言。故・赤塚不二夫さんの最愛の妻、眞知子さんは、赤塚不二夫さんが植物状態の時に亡くなり、夫婦それぞれが、お互いの死を知らずに亡くなったという話を聞き、「うらやましい、こういう風に死にたい」と管理人が言ったのに答えて。)