儀式や儀礼を上手に利用する
儀礼を行う
ここでいう儀式は必ずしも改まったものでも、宗教的なものでもありません。儀式には、公的なもの、宗教的なもの、世俗的なもの、全く個人的な物、様々な形があります。「みんなの求めているのはこういう式だ」と思い込み、決めつけない。
公的な儀礼をおこなう(葬儀や・宗教的な儀礼)
葬儀と葬儀後の儀礼
葬儀は人の死を受け入れ、親族や友人に集まって、支えてもらい、故人を讃えるのに非常に重要な役割を持つ儀礼です。ただ、多くの人にとって死はあまりにも突然訪れ、あわただしく終わってしまいます。もし、心と時間に余裕があったり、事前に考える機会がある、あるいは、故人と「葬儀について話をして希望を聞く」機会があれば、故人の思い出を十分に参列者と共有し、故人を讃えるのにふさわしい葬儀が行えるかもしれません。故人の趣味でやっていた書を飾ったり、祭壇は真っ赤なお花を使ったり、その人なりの葬儀を行うことが可能です。
「事前に葬儀の話をするなんて」、そう思われる方も多いですが、最近では葬儀社も事前相談に力を入れているので、そういったタブーにこだわることなく、事前相談を受けることも検討すべきです。満足のいく葬儀をするには、事前の準備が一番です。事前の準備のない葬儀は、内容、金銭的な面で後悔することが多く、グリーフに良い影響を与えるとは言えません。
参考リンク:葬儀・儀礼の役割
お別れの会
突然の事故死、自死、若い人や子どもの死などを含めた想定外の死の場合には、葬儀は突然訪れ、満足のいく葬儀が行えなかったり、ごく近い親族で家族葬を行ったりかもしれません。また、最近は、無宗教の葬儀を行うことも多く、故人の意向で、葬儀自体はごく小さく行い、多少時間が経ってから友人や親せきと共に「お別れの会」や「偲ぶ会」を開苦こともあります。参加者には故人のなつかしい思い出や、楽しいエピソードを語ってもらったり、故人の好きだった音楽を演奏したり、とかなり自由な方法で「故人の生涯を讃える」事が可能です。
命日や年忌(一周忌、三回忌など)
命日も伝統的に、遺された者への地域社会からのサポートの意味を持っています。しかし、この命日も葬儀や宗教行事の簡略化の傾向で、文字通り「儀礼」になる事が多く見受けられます。こういった、親せきや友人が集まる機会を、単なる「お食事会」に終わらせないように、故人が会の中心になるような集まりを考えたいものです。
個人的な儀礼
記念日を記念する
記念日、例えば命日、故人や自分の誕生日、結婚記念日、クリスマスや正月などは遺されたものにとって象徴的で、こういった日には故人をことさら強く思い出し、辛い日であるという人がたくさんいます。記念日反応をやり過ごすでその「やり過ごし方」を紹介していますが、ここではあえて記念するという考え方をご紹介します。
お墓詣りをする、お香やキャンドルを灯す、特別な食べ物を用意する、家族を招く、と言う形で、やもすれば抑うつ的な気分になりやすい誕生日を特別な日に変えることが出来るのではないでしょうか
「Live On」代表の尾角光美(おかくてるみ)さんは、アンビバレントな関係にあった母を自死で亡くされましたが、現在、亡くなった母への思いをつづった文集を発行する「Live On 母の日プロジェクト」を行われています。母の日は母が亡くなっても意味のある日だと尾角さんは考えています。
もともと母の日の起源は、1908年5月10日にアメリカでお母さんを亡くしたアンナ・ジャービスという女の子が亡き母への想いを伝え、教会で白いカーネーションを配った追悼の集いにあります。(中略)
母の日の原点を想うとき、ふたつのことが新たに見えてきます。
- 亡くなった後も、母と子のつながりは続き、関係を紡ぐことができる。
- お母さんが健在の人にとっては、今一緒に「生きている」ということが実感できる。
この二つのメッセージを届けるために、母の日の原点を伝えていきます。
もうこの世には生きていない、亡くなったお母さんにギフトを贈ることは できなくても、想いを表現して届けることはできます。 私たちは文集づくりを通してそんな声を届ける郵便屋さんになります。
今、改めてお母さんに伝えたいこと。 感謝の気持ちはもちろん、喜び、後悔、さみしさ、怒り それぞれの心の中にある、お母さんに対して感じている ありのままの気持ちを伝えてみませんか。Live On 母の日プロジェクトホームページより
散骨をする
散骨をされる方が増えています。散骨を「お骨の行き場」「お墓の代り」ととらえずに、故人との共同作業、と考えてる方もいます。散骨された場所は故人との大切な場所となり、故人がそこから見守っているという実感が生まれます。
小さいころから車いす生活を送っていた大学生の息子を亡くした女性は、息子の遺骨を散骨することに決めました。「あの子の、行きたくて行けなかった所に行かせてやるために」、自分や息子の友人が旅行をするたびに、粉末状になった遺骨を少しずつ託し、今までに世界中の多くの土地に青年の遺骨が散骨されています。この女性は自分が定年を迎えたら、今度は息子の遺骨が散骨されている土地を一つずつめぐる計画を立てています。