今なぜグリーフケアが必要か

グリーフケアの必要性

グリーフが死別といった喪失への自然の反応であるというのなら、グリーフケアというものは必要であると言えるのでしょうか。愛する人を亡くすことは人間にとって目新しい経験ではなく、今までは「何とかして来た」はずではないのでしょうか。
確かに、伝統的に、親戚、友人、地域のコミュニティーや寺は、死の直後だけでなく、その後の何か月、時には何年も愛する人を亡くした人を支えて来ましたし、今でもそのサポートは、ひき続き大きな意味を持っています。
しかし、今日の社会では、平均寿命の伸長、核家族化、闘病・死亡場所の病院への移行、宗教の地位低下や個人主義の徹底などにより、人々は死になじみがなく、死にどう対処していってよいのか不安に思っています。また、隣人の顔も知らない都会のマンションという住環境では、社会からのサポートもその役割を果たせているとは言えません。そういった中で、昔から言われてきた「時が悲しみを癒す」という慰めが、どうも不十分で場違いなものになってきていると言わざるを言えないのです。

一方、死別の悲しみについての研究、グリーフについての研究が進んできたこともあり、研究者の間では死別の悲しみに適応するヒントが見つかりつつありますが、そのヒントが一般的に知られ、有効に活用されているとは思えません。

こういった環境の中で医療、宗教、葬祭、地方自治体などでグリーフケアの必要性が認識され、また、遺族自身や遺族を支えたい人々もグリーフケアを学びたいという気運が高まっています。

変わる死を取り巻く環境

人は太古の昔から死をみとってきましたが、この数十年の間に死を取り巻く環境は大きく変わり、死は遠く、なじみなく、死に直面した人を戸惑わせます。今日の死を取り巻く環境を考えてみると、次の5つのような項目で大きな変化が起こっていることがわかります。

遠くなる死・死の否認

  • 平均寿命が伸長し、核家族化が進んだことにより、20-30代でも身内の死を経験しない人が多い(核家族の場合、50-60代で初めて経験する間近な死が親ということも)。
  • 高齢者が施設に入居することが増え、また、死の現場が病院に移行したことで、闘病や「死にゆく様」を目にすることが少ない。
  • 現在8割以上の死は医療機関で起こる。死はプロフェッショナルが扱う事柄へ。(昭和20-30年代は病院での死は1割ほど)
  • 死を身近に体験する頻度の激減により、死は極めてなじみのない出来事になり、恐れと不安の対象になった。
  • 死がコントロールされた環境の中で起きることが増える程、それ以外の状況での死(事故、災害、犯罪)はグロテスクでショッキングに感じられる
  • 核家族化で、世代間で引き継がれた死にまつわる知恵が継承されない
  • 長生きはいいことである、という認識だが、死生観については議論されない
  • 長生きは、もともと栄養状態の向上、生活レベルの向上のあかしとして考えられていたが、それゆえに長生きすることを第一の目的となりがち。
  • 死は敗北で悪であるという認識

医療の向上による死の性格の変化

  • 医療技術の向上により延命技術が発達し、かつては死を迎えていた人が命を(だけは)取り留めることが出来、そこに「死なせるかどうか」という決断を迫られる可能性が起こる。
  • 死んでいるかどうかも「脳死」という概念のもとに、実感ではなく検査による判定で決まることもある。
  • 死は、コントロールできる要素の一つとして認識されてきている。
  • 医療において死は「敗北」と認識されていて、一日でも多く生かさせる使命があると考えている。
  • 医療への過度の期待と、達成されない場合の強い失望感がある
  • かつて起こっていた「生命力が尽きて死ぬ」事が逆に難しい

宗教観、葬儀儀礼の変化

  • かつて、地域の人々と寺の力で行われていた葬儀は、殆どが葬儀社によって執り行われるようになり、葬儀が死や宗教について改めて考えを巡らせる機会としての機能を喪失し、購入するサービスへ変化した。
  • 宗教(仏教)と宗教施設(寺)が日常生活から遠くなるにつれ、一般人も宗教を知らず、宗教家(寺)も一般人(檀家)を知らずという状態に。
  • かつて宗教の描いていた死後の世界(四十九日の法要が過ぎると成仏し…と言った考え方)、人生の意味、が価値観の多様化、相対化の中で地盤沈下
  • 儀式が簡略化、廃止され、葬儀や法要におけるサポート機能が失われてきた。例えば、繰り上げ法要をして、初七日や四十九日を、葬儀の時に同時にやってしまったり、都市部での直葬(全く宗教的行事を行わない)が急激に増えているなど。
  • 葬儀は「めいわく」という認識の蔓延

個人主義の徹底と価値観の多様化

  • 全ての個人はユニークで、いかなる方法でも取り換えが効かない、という考え方の浸透(子供が働き手として「頭数」「コモディティー」であった時代の終焉)
  • 全ての人は平等であるべきだ、という考え方を曲解した疑似平等感や期待感
  • 個を家族のメンバー、集団のメンバーと認識する考え方が、家意識や村意識の消滅と共に無くなって来ている。死は、直近の家族だけの問題。
  • 価値の多様化による伝統的認識の相対的地盤沈下。(共同体の信じている確固たる「死後」のイメージが崩れ、死後の世界は「それぞれが考えなくてはいけない事」に)

社会からのサポートの減少

  • 人口の都市部への流入と核家族化により、従来の地域での遺族への死から葬儀、葬儀後のサポートが無くなった。
  • 少子化により、少なくなった子供や兄弟は遠方におり、日々の寂しさを分かち合う存在がいない。
  • 急速に増えつつある高齢者だけの世帯では、一方が亡くなると残る単身の高齢者は本当に孤独を感じる。
  • 友人知人といった周りの人間自身も死になじみがなく、死別の苦しみにある人を支える方法を知らない。
  • サポートの役割が代替え的な機関、例えば、医療、葬儀、NPO、ソーシャルワーカー、地方自治体などに移る傾向はありますが、グリーフに対応するには至っていない。

グリーフ研究の発達

グリーフに関する研究は扱う内容が、社会学、心理学、哲学のみならず生理学、免疫学、など多岐にわたり、非常に学際的な研究を要求するものなのです。学際的学問は往々にして研究の手が付くのが遅く、グリーフに関する研究も例外ではありませんでした。
しかし近年、グリーフに関する研究がすすみ、その過程で以下のようなことが解ってきています。こういった研究の成果を生かして行くためにもグリーフケアが必要と考えられています。

有効な対処法がある

喪失の悲しみへの有効な対処法が明らかになってきました。もちろん喪失の痛みへの「答え」や「解決法」が見つかったわけではありませんが、適応を助けるための方法論や考え方がたくさん出てきました。

問題を抱えるケースの予見が可能になった

研究が進むにつれて、遺族の10-20%が喪失への適応に何らかの問題を抱えていることが解って来ました。さらに、こういった人々にはある程度の共通点がある事から、問題が起こりがちなグループの予測が出来るようになってきています。例えば、故人との複雑な関係を持っていたり、死の様子が衝撃的出会ったりするケース、自死遺族はグリーフへの適応に問題がある事が多いことが知られています。こういった問題を抱えがちな人々には早めに注意を喚起し、対応することが必要と考えられています。

社会啓蒙の必要性がある

有効な対処法が見つかるにつれ、今まで言われてきた喪失の痛みへの対処法が間違っていたり、逆効果であることもわかって来ています。例えば「時間が経てばよくなる」「喪失には強く立ち向かうべきだ」といった考え方やそれに基づいた声掛けなどはグリーフに苦しむ人をさらに追い込む形になってしまいます。グリーフは自然で、ある意味必要な痛みと言えますが、その苦しみを「こんなに苦しむなんて私は異常ではないのか」と心配する人もいます。不必要な痛みまで背負わないためにもグリーフに関する啓蒙が必要と考えられています。