グリーフ(死別の悲嘆)についてのおさらい

このセクションでは、グリーフ(死別の悲嘆)について学び、死別の悲しみとは、それを乗り越えるとは、何が期待でき、何が期待出来ないのか、などを勉強して頂きたいと思います。

グリーフ(死別の悲嘆)とは

グリーフは、重大な喪失に対する複雑な反応や状態の事を言います。
人は、大きな喪失を経験した時に、世界が今までとは全然違うものになってしまったと感じます。そして後ろを振り向き、失ってしまったものを求め、なんとか取り戻したいと思いますが、それは無理なことを知り、悲しみます。なぜ自分が望みもしないのに、こんなことになってしまったのか、答えの出ない問いを発し続けます。これがグリーフです。
グリーフは、心や体に様々な反応として現れます。時に、グリーフの反応があまりに強く、辛く、「こんなに苦しむのは病気ではないか」と感じることもありますが、こういった反応は、大切な人との絆が引き裂かれたこと=喪失、に対する正常な反応です。大きな痛みがあるのは、そこにかつて強い絆があり、そして、今でもある証と言って良いと思います。

心への影響(感情や認知の反応)

死別といえば、「悲しい」という感情が典型的ですが、グリーフの心への影響は、悲しみだけではありません。何とか死を避けられたのではないかと後悔したり、無気力で虚無的に何もしたくない、医療関係者に怒りを感じたり、故人が囁きかけているような気がしたり、と様々な感情やを次々と、あるいは同時的に経験をする事が知られています。いずれにしてもこれら様々な感情は大きなグリーフへの正常な反応と考えられています。
典型的な心への影響(感情面での反応)のいくつかを下のようにまとめました。それぞれの感情について詳しくは、研究セクションのグリーフの心の反応にまとめましたのでご覧になってください。

心の反応 悲しくて泣いてばかり、故人の事や死の状況が繰り返し思い出されてそれ以外の事が考えられない、やりきれない怒りを感じる、罪悪感、ショックで何も感じない、寂しい、信じられない、集中できない、霧がかかったようで現実と思えない、故人の存在を感じる、涙が止まらない、表に出たくない、人込みで故人を探してしまう、落ち着かない、虚無感、生きている意味が解らない、など

肉体的反応

グリーフへの反応は、心だけで起こるのではなく、実際に肉体的な不調としても現れます。これらも正常な反応と考えらえますが、実際に免疫機能が低下しているので、無理をせず、食事と睡眠をできるだけ規則正しく採るよう心掛け、自分の体をケアするようにしましょう。
典型的な肉体的な反応は以下の通りです。詳しくは研究セクションのグリーフの肉体的反応をご覧ください。

肉体的な反応 頭痛、めまい、疲労、息切れ、震え、眠れない、食べられない、持病の悪化、など

死別への適応(死別は乗り越えられるか)

さて、ここで少しお話を戻したいと思います。
人は、本当に大切な死を「乗り越えた」り、「立ち直った」り、死の衝撃から「回復した」りすることが出来るのでしょうか。私たち、そしてグリーフの研究者たちは、それは、残念ながら、難しいことだと考えています。
一人の人の死は、取り返しのつかない出来事です。死別による喪失は元に戻すことは不可能です。回復が「元の状態に戻ること」であるとするなら、それはあり得ないことと言ってよいでしょう。では、「乗り越える」ことは出来るのでしょうか。「亡くなった人の事は早く忘れて、強く前向きに生きる」べきでしょうか。もちろん、こういう方法で、残りの人生を生きることは可能でしょうし、そうする人もいると思います。 しかし、私たちは、前に進むのに故人との絆を切ってしまう必要は無いと考えています。
では、遺された者は、どうなっていくのでしょうか。遺された者は死を「乗り越え」たり、「回復した」りは出来ませんが、故人の居なくなってしまった世界で、何とか生き延びていく ― 適応していく ― 事は可能です。

さらに、「亡くなってしまったものは仕方がないと受け入れる」だけでなく、それ以上の喪失との和解も期待できます。ただ単に、新しい世界 ― それは大切な人がいないからでもあり、自分が変わったからでもあります ― と折り合いをつけて「生き延びる」だけではなく、故人との新しい心のつながりを大切にし、新しい世界をポジティブに生きる事が可能だと、私達は考えているのです。

  • 変わってしまった世界を、故人の事を忘れずに、生前とは違う絆を持って生きていけるようになる。
  • 悲しみを持ったままで、ポジティブに生きる事が出来る。
  • 自らに起こった変化に、意味や価値、成長があると感じることが出来るようになる。

究極的には、これらが喪失への適応です。ここには新しい人生の始まりがあります。

グリーフワーク(死別に適応するための作業)とは

グリーフワークとは

さて、先に、グリーフが喪失に対する自然な反応だ、と説明をしましたが、この苦しみの状態から、適応へ向かう際にグリーフワークと言うものが必要だと言われています。
グリーフワークは、やや恣意的に訳せば「死別への適応作業」という事にもなります。作業、とは言っても「これこれをすればグリーフワークが進みます」というやる事のリストがあって、遺された人が一生懸命やる、といったたぐいの作業ではありません。 遺された者が、大切な人を失った喪失に向きあい、自分の気持ちを語り、考え、選択をし、行動をし、それを後悔し、その次にはまた少し納得のいくようにやってみる。そしてそういった作業の積み重ねの中で、行動の仕方、自分の物の見方を少しずつ変えていく、変わっていく、そういったことがグリーフワークなのです。
そして、このグリーフワークが進むにつれ、最初の圧倒されるようなグリーフの痛みは少しずつ弱まって行きますし、効果的なグリーフワークにより、人は再び人生を自分の物として生きていくことが出来るようになります。

グリーフワークとは:具体的な例

もう少し具体的に説明をします。人はグリーフの痛みを感じ、失ったものを求めつつ悲しみますが、 一方、ほとんどの人は、そろそろと日常生活を続けていきます。
大切な人を亡くした後の「日常生活」はつらい事がたくさんあります。遺品を整理していて、故人が好きでやっていたテニスのラケットをどうしよう、という事になったとします。テニスのラケットを見ていると、色々な事が思い出されます。何度も一緒にやろうと言われていたのに、ついにはじめなかった事。練習に行く回数が多すぎる、子供の面倒を見てほしいと喧嘩になったこと。一緒にやってあげたらよかったのかな、とあなた思うかもしれません。ラケットは大切にキャビネットに飾っておく事もできるでしょう。見るのが辛いので捨ててしまうこともできます。テニスの仲間に続けて使ってもらった方が故人は喜ぶ、と考えることもできます。テニス仲間の鈴木さんに電話をかけてみたら、ぜひ使わせてもらいたいと言います。持っていったら、故人がテニスを始めた頃のエピソードをいろいろ聞かせくれるかもしれません。自分の知らなかった故人の話を聞くのは、うれしいような、辛いような気持ちです。鈴木さんは、あなたにこれを機会にテニスを始めたらどうかと言ってくれました。あなたは、今はその気になれないけれど、故人の好きだったスポーツを始めるというアイディアに、少し魅かれるかもしれません。このように、テニスラケット一つについても、「あなた、故人、テニス」の三角関係を解いていかないといけない、ということがあり、それは辛さを全く感じずに行うのは難しい作業です。
しかし、この辛さには、あなたの選択ができるという違いがあります。死別はあなたにとって選択肢のない出来事でしたが、テニスラケットをどうするかはあなたにチョイスがあります。テニスを始めるかどうかはあなた次第です。これが、喪失に向きあい、自分の気持ちを語り、考え、選択をし、行動をしていく、という事です。こういった行動の中で、一つずつ「あなた、故人、世界(テニス)」の関係を見直していく、これがグリーフワークなのです。
そしてこういった活動を続けていく中で、先に述べたような適応した状態に近づいていく、ということです。

具体的な活動について

グリーフワーク、という具体的な活動はありません、しかし、専門家がまず第一にお勧めするのが、「親身になって聞いてくれる人に、故人について、お別れについて話をする事」を挙げています。その他にも、日記を書いたり、写真を整理する、形見を大切にする、などの方法があります。行う事は日常的なことですが、その方法や留意点などについては具体的な活動についてが参考になるかもしれません。

この期間中に心に留めたい一般的助言

また、このグリーフの期間中、心に留めたい項目を悲しみの中にある人への指針にまとめました。ぜひよくお読みになって頂きたいと思います。

なぜ人は喪失に適応する(べきな)のか

ここまでのお話で一つ抜け落ちているのが、なぜ人は喪失に適応する、すべきなのかという点だと思います。
あるお医者さんが、グリーフに関して「人はどんな喪失感に打ちひしがれていても,前に向かって進まなければいけない」と書いていらして、私は、ずいぶん違和感を感じました。人は、それが普通だから、正しいから、という理由では前には進めないと思います。前に進むかどうかという意欲は、遺された者自身が見つける事ではないでしょうか。
失ったものを振り返って、グリーフの中に退却し続けることもできます。それは、今まで培ってきた行動、期待、習慣を変えるのは怖いからかもしれません。人に支援を求めたり、支援を受け入れるのを弱さの印、と考えているかもしれません。それとも、単に頑固なだけかもしれません。いずれにしても、グリーフの状態の中にとどまる事も可能だと思います。しかし、そこにあるのは、無力感にさいなまれること、もう機能しない行動や考え方や方法にしがみつく事、以前の生活に戻りたいと思っていつも拒絶される挫折感、故人に生き返ってほしいという虚しい切望、そういったものです。簡単に言えば、そこにあるのは、不幸です。
だから、前に進む方が良いのです。グリーフの状態に留まった時の暗い感情や、そこから一歩を踏み出さない100の理由にNOと言い、変化と新しい経験、選択肢にあふれた生活、「自分の物」とはっきり言える人生に踏み出す、というアイディアにYESと言うかどうか。そういう気持をは遺された者が自らの内に見つける事が出来れば、前に進むことが出来ます。
関連リンク:レジリエンスの「グリーフの状況におけるレジリエンス」

死の適応にはどのくらいの時間がかかるか

適応にかかる時間

「どのくらいこの苦しみは続くのですか?」「こんなに長く辛いのは私はおかしくなってしまったのでしょうか?」、グリーフのさ中にいる人からよく尋ねられるのが、こういった質問です。
そして多くの専門家が、ガイドラインとしても期間を語るのを躊躇します。それは、人はそれぞれの悲しみに、それぞれの形で反応し、適応して行くために、そういった意味で「普通の期間」はないという考え方からです。
しかしそれではあまりに曖昧で、何の役にも立たない、と言う方もいらっしゃるでしょう。
先ず、こういった大きな仕事をやり遂げるには、長い時間がかかるということ、それから、グリーフからの回復はあなたや周りの人が一般的に考えているより、ずっと永くかかるという事を覚えておいてください。多くの専門家の意見を見てみますと、非常につらい感情面のローラーコースター状態や、肉体的な不調(グリーフの反応)が徐々に納まり、日常的な機能がある程度のレベルまで回復するのに「数か月」から「1年ではたりない」くらの時間がかかると言われています。
一方、グリーフに適応できた、喪失に何らかの意味を見出し、人生に積極的に取り組むようになったと本人が感じるまでに(グリーフワークが一定の終結を見たと考えるまでに)は、もっと時間がかかり、数年はかかると言われています。しかし、長い人生の中では一度適応が出来たと思っていても、環境の変化などから再度自分と故人との関係を見直す必要がある事もあり、喪失との適応は一生かけて行う仕事とも言えます。

さらに詳しく知りたい方はノーマルなグリーフ・プロセスの期間をご覧ください。

適応への進み方

また、グリーフへの適応は一直線には進みません。ある人はこれを、「勝手に駒が無くなったり増えたりするジグソーパズル」と呼んでいます。合ったと思った駒が消えたり、知らぬところから駒が現れたり、進んだかと思って安心していると夜の間に崩れて居たり、こちらのつじつまを合わせるとあちらが合わない…。
ですから、グリーフの反応も多様なだけでなく、その現れ方も一様ではありません。ある時は強く、ある時は弱く、引いたかと思えば、何かの要素に刺激され て、以前より強く再来し、時間単位、週単位、月単位で波のように押し寄せるように感じられることもあります。ある程度の社会的な適応や、内面的な適応が進んだ場合でも、故人への思いが強く噴出し、これまでの進歩が台無しになってしまったような気がすることもあります。ある程度適応が安定している場合でも、遺された者と故人の関係は変化していきます。まるで、その人が生きていた間も、その人との関係が変わることがあったように、故人との関係も変化し、遺された者の残りの人生の間この共生は続いていくのです