故人を身近に感じる

形見の品を愛おしむ

故人の所持品や記念品を大切にしたい、故人の一部を知人に分けることで忘れないで上げてほしい、故人の一部を受け継いでほしい、という気持ちは自然なものです。中にはそれを仕舞い込んでしまい、目にしたくない、という人もいますが、形見の品々を整理して自分の生活の一部にすることもよい方法の一つです。
故人の所有物を改めて見つめたり、扱ったりすることが辛い事もあるかもしれません。そういった場合は自分が遺品の整理を行う準備が出来た、と思うまで待つ様にしましょう。周りに言われたから、つらいからといって、」急いで遺品を「処分」する事は、後から後悔することも多く、お勧めできません。形見の品を「整理」することは必ずしも「いらないものを捨てる」ことではありません。故人の遺したものを愛おしむことなのです。

自分にとって大切なものを探す

故人の持ち物を整理することはある意味辛く、ある意味で懐かしい気持ちを胸に呼び起させます。荷物を整理するうちに、あなたがあげたプレゼントが、ひょっこり出てくるかもしれません。「ああ、こんなところに・・・」、プレゼントをあげたときの状況、気持ち、それを取っておいてくれた故人の気持ちが胸を打ちます。

大切なものの置き場所、居場所を準備する

自分にとって大切なものの置き場所を考えましょう。キャビネットの1セクションを、仏壇とは別の追悼スペースにする人もいます。大きめのオルゴールを、宝箱にする人もいます。お気に入りの写真と一緒に、いつも触れられるように居間の棚の上に置いておくこともできます。特別なスペースを設けず、「故人がいつも置いていた所に」置いておく人もいます。それを取りに行く姿が目に浮かぶようです。マフラーなどは身に着けることもできるでしょう。

故人との繋がりの輪を広げる

故人とつながりのあった人々に、遺品の一部を持っていただく「形見分け」も一般的に行われている方法です。よくある「形見分けのルール」にはとらわれず、本当に親しい人に、その人が喜んで持っていてもらえそうなものを選ぶのが大切と思います。
また、故人に蔵書やコレクションなどがある場合には、研究機関や団体に寄付したり、売却したうえで故人の名前で寄付をしたりすることも考えられます。

様々な祈りの場

故人をしのぶのに、特別の場所や儀式は必要ではありませんが、祈りの場があると「どこに向かって話をしてよいか」がはっきりするかもしれません。日本では仏壇と言う素晴らしい祈りの場があり、毎朝、すわり、向き合い、語ることが出来ます。もし、仏壇はない、宗教的なものに違和感を感じる、という事であれば、上の「形見の置き場所」を祈りの場としても良いでしょう。

手元供養をする

中には、もう少し別の方法を取る人々 ― 遺骨を大切にする人 ― もいます。
故人の「最後の物質的な存在」としての遺骨は、日本人にとって非常に大切で、時に遺骨に対する思いは執念に似たものがあります。最愛の伴侶を亡くして何年もたつが、「行ってしまうと」寂しくてしょうがない、一生抱えて居たい、という人がかなりいらっしゃるのです。身近にある事で安心する、身近に感じる、寂しい気持ちが少しはよくなる、という方が多いようです。もちろん、遺骨は納骨の義務があるわけではないので、自分で納得いくまで手元に置いておく事が出来ますが、納骨もしたい、納骨せざるを得ない、と言う人もいます。
一方、故人や遺された者の希望で、散骨を行う方も増えています。こういう方の場合、一般的にあるお墓、仏壇、位牌などは存在しないため、遺されるのはお写真だけとなり、故人と「向かい合う場」がなく、どこに向いて話してよいのやら、と言う方もいらっしゃいます。
こういった方々の中で、近年増えてきているのが、「手元供養」と言う方法です。NPO手元供養協会によると、手元供養とは「最愛の方の遺骨を身近に置くことで、心のよりどころとなり、 手を合わせ、或いは握りしめ、故人を偲び、語りかける自由なかたちの供養」という事になっています。
遺骨の一部を小さなきれいな容器に移し替えたり、ロケット型のペンダントに入れて身に着けたり、遺骨を加工して扱いやすい形にして、手元に留める事が可能です。携帯性があるので、一緒に旅行に出かけたり、いつでも身近に居るという感覚で、強いつながりを感じる方法です。