子供の死

子供の死はその年齢に関係なく、最悪の喪失と言っても良いでしょう。
親は子供の存在をおなかの中に認めたときから、強い絆をはぐくんでいきます。子供は親の夢であり、未来への希望であり、親の死後も自分自身の継続性の象徴です。子供は、自分の死後も自分の事を確実に思い出してくれる存在であり、認めるかどうかは別として、自らの老後への保障と感じる人もいるでしょう。子供は自らの人生と共に歩み、育ってきました。子供の多くの部分は両親の考え、教育、身ぶり手振り、一緒に過ごした時間の集大成で、見れば見るほど自分かパートナーの分身に感じられます。
子供が死ぬことはまれで、それゆえに、その死は突然で暴力的な形を取り(1歳から19歳までの死亡原因の第1位は、交通事故、溺死などの事故によるもの)、親にショックを与えます。先に生まれたものが先に死ぬというライフサイクルの基本についての想定は破壊され、自然の法則が犯されたと感じます。子供の死はその年齢に関係なく早すぎる死と感じられますし、親はその身を切り裂かれたような気がします。 なんといっても子供の死は、究極的に『間違っている出来事』なのです。

罪悪感

ああすればよかった、ああしなければよかったという後悔と、罪悪感は死別にはつきものですが、子を亡くした親の罪悪感は、それが保護者としての義務と責任感に後押しされています。そして、子供を「もっと注意深い子に育てて居たら死ななくて済んだのではないか」、とそれまでの教育が至らなかったのではないかといった事にも責任を感じます。
親は出来れば変わって自分が死ぬことは出来なかったのか、あるいは今からでも命をささげる事が出来るのかを考え、自分だけが生き残ってしまったことにも罪悪感を感じます。

夫婦関係

子供の死は、夫婦関係に大きな影響を与えます。考えてみますと、伴侶の死は遺された妻や夫と子供の問題です。親の死は遺された子たち(兄弟姉妹)の問題です。現代の核家族化の進んだ家庭の中では、夫婦が夫婦として同じ死に、同じ立場で向き合うのは子供の死だけかもしれません。
キャサリン・M・サンダースは「子供を失った夫婦はすべて例外なくある時期問題を抱える」といいます。お互いがいたわりを必要とし、お互いの存在が重要で、お互いの許しが必要な時に、父親と母親が十分コミュニケーションが取れないという不幸なケースがしばしば見られます。

闘病中の問題

子供が病死の場合、夫婦は子供の死以前からストレスを感じています。子供が重病であるというのは大きなストレスですし、実際、仕事、家事、看病をこなすのは大きな負担で、感情的、肉体的、そして経済的な問題を抱えて居る事があります。父親は経済的な責任から看病に直接かかわることが出来ないのをストレスに感じます。病に死の可能性がある事がわかり、病状が悪化すると治療とQOLの考え方で両親間に軋轢が起こっていることもあります。

コーピングスタイルの違い

詳しくはグリーフとジェンダーで解説しましたが、男性と女性は問題への対応の方法に違いがある事が多く、子供の死についても同様です。感情表現の豊かな母親と苦手な父親は、子供の死後、それぞれの世界に駆け込み、それぞれの方法で死を受け止めようとします。
男性は、時に妻以外の家族のメンバーの面倒を見る事に責任を感じ、家庭内での役割を一生懸命こなそうとしますが、妻には掛ける言葉が見つからず、自らの感情表現は豊かではありません。妻は夫が涙を見せたことがない、平気な顔をして会社に行く、なぜ飲み会に行くことが出来るのか不満に思います。グリーフをシェアしないと言って責め、夫のグリーフはスタイルが違う時が付くまでには時間がかかる事もしばしばです。

男性の中には、悲しみを怒りで表す人もいれば、過剰な行動に自分を駆り立てることで表す人もいます。子どもの生存が絶望的であっても、捜索隊の先頭に立ってがむしゃらに捜しまわる人がいます。何かを組み立てるとか、家や車の大がかりな修理をするとか、家でくたくたになるような作業を始める人もいます。あるいは、職場で長時間残業するようになる人もいるし、やたらと出張に出る人もいます。
最初のの数カ月が過ぎると、男性はたいてい、亡くなった子どものことをいっさい口に出さなくなります。1人でドライブに出かけたり、用もないのにスーパーに行ったり、一人でお墓を訪れたりと、いつもの習慣にないことをする人もいます。たいていの場合、男性は周囲の目からどうにかして悲しみを押し隠そうとするものです。
これに対して女性は、自分の気持ちを夫や子どもや友達や親戚に話すものだと思われています。亡くなった子どものことをはなす、ただそれだけの目的で女性が友達とお茶を飲む約束をするのはそれほど難しいことではありません。これが男性だったら、仲間のだれかとそんなことをするのは容易ではないでしょう。休憩時間に気の合う同僚とコーヒーを飲んだり、仕事の終わった後、親しい友達とお酒を飲みに行くことがあっても、残された父親が子どもの死にふれるとすれば、ほとんどは事実を話すだけであって、気持ちを打ち明けることはありません。例えば、「ブレントが乗っていた串は十数メートル横すべりして崖から落ちた」となら言うかもしれませんが、「ブレントがもう少し成長すれば一緒にできるだろうと、いろいろ楽しみにしていたのに」と打ち明けはしません。「息子にそっくりの少年をみかけると、ときどき心臓が止まりそうになる」と口に出したりはしないのです。
『悲しみを超えて』キャロル・シュトーダッシャー

夫婦関係は危機を迎えるか

子供を亡くした両親が、離婚に至る率が高いかどうかについて信頼に足る統計がありませんが、子供が死亡した事で関係が悪化するのではなく、夫婦のそれまでの関係や、問題解決方法の問題点がクローズアップされると考えられています。以前からコミュニケーションがとれていなかった、夫婦としての関係が薄く、親としての役割が強い関係である関係の場合は問題が大きくなりがちです。持っていき場のない怒りのはけ口を伴侶に求め、感情的に、「子供を愛していなかった」などと断定的な調子になると、悪い関係はより悪くなっていきます。
コーピングスタイルの違いを認めることが出来、時間がたってからでも和解することで危機は回避できますし、逆に、中には子供の死を中心に夫婦の結束を深める夫婦もいます。

性的関係の問題

子供を亡くした夫婦間で、しばしば問題になるのがセックスの問題です。キャロル・シュトーダッシャーはこう説明しています。「妻が、自分には全くその気がないのに、夫は『すぐ』にセックスしたがった、とこぼすのは珍しい事ではありません」。実際、男性はぬくもりを求めるつもりでも、女性はそう感じられないことがしばしばです。体の不調があったり、悲しみで心がいっぱいであったり、「亡くなった子供に悪い」と感じたりしていて、「セックスをしてもいいと思えるまで待っていてほしい」と思っていますが、それがうまく伝わっていないのです。
重要なことは双方がそう思っているのなら、セックスをすることは悪い事ではありませんし、喜びを感じても良いのだとキャロル・シュトーダッシャーは言います。

大切なのは'喜びを感じても、亡くなった子供を見捨てたことにはならないと理解する事です。 喜びが子どもに対する裏切りりにつながると考えてはいけません。あなたが何かを楽しんでいるとしても、 子どもを亡くしたことを忘れているわけではありません。子どもを亡くしたことで打ちひしがれている生命に、初めて喜びを取り入れようとしているだけのことです。そして、もう少し後になると、この関係が逆になり、生きることの喜びの中に、子どもを亡くしたことがとけ込んでいきます。
『悲しみを超えて』キャロル・シュトーダッシャー

また、セックスが「子供を作る」と言う意味であるのなら、、肉体的に妊娠に耐えられる状態である事、子供の死がしっかり親の人生の中で位置づけられており、新しい子供が「身代わり」でないことが重要であるとシュトーダッシャーは述べています。

兄弟姉妹への影響

子供の死はその兄弟にも影響を与えます。

闘病中の問題

親は兄弟の生命が脅かされている事実をなかなか子供に説明をしようとしません。自分自身が信じたくない一方、他の子供に説明する言葉が見つからない、それが悪影響になるのではないかと考え、説明を避ける傾向があります。子供は孤独、混乱、葛藤、無視されたと感じています。しかし子供は親の様子から何か重大なことが起こりつつあり、それは自分には説明されないことを知っています。親から自らへのサポートは減ってしまいますが、親には迷惑を掛けたくないと感じ、良い子になり、親をサポートする子供もいます。このような中では子供は親に自分の不安な感情を上手に表現は出来ません。

死後の問題

親のグリーフにはサポートがありますが、子供のグリーフは無視される傾向があります。
死後も、子供に死は十分説明されません。子供は上手に理解できない「死」を想像に任せ、死の責任は自分に責任があるのではないか、自分も死んでしまうのではないかと考える事もあります。(関連リンク:子供に死をどう伝えるか
死後の両親の生活は大きく乱れ、子供は自分が慣れ親しんだ生活のリズムで生活が出来なくなります。親の心は亡くなった子供の事でいっぱいで、遺された子供は無視されていると感じる事もあります。その中で子供は精一杯親を思いやり、時には必要以上に親を喜ばせようとし、自分の不安や辛さを隠そうとしますが、その努力と気遣いに親は気が付かないようです。
子供の死は、遺された子供の立場や親からの期待が変化する要素でもあります。もう一人の子供を失うのではないかと、時に親は遺された子供について(一時的でも)過保護になります。中には残された子供や、子供の死後生まれた子供をあからさまに身代わりにしようとする親もおり、また、それに子供が何とか応えようとすることもあります。
両親の子供の死を中心にしたいさかいも遺された子供に影響を与えます。仲たがいする両親を何とかしようと子供は感じ、さらに自分の感情を押し殺します。子供は家族内の死のひずみの影響を一番受けやすいと言えるでしょう。

流産、死産

親、特に母親は妊娠が分かった時から子供との関係をはぐくんでいきます。未だ見ぬ子供の顔立ちや、子供と共に送る生活を想い、そこに自分自身と、未来を重ね合わせていきます。妊娠中は穏やで、幸せで、これから素晴らしい出来事が起こる事を見事に予感させてくれる時間です。そのおおらかな幸せの期待を裏切る形で流産や死産は訪れ、両親はその落差に絶望します。
早期流産の原因の多くは染色体異常などによるものですし、それ以外のケースでも、ほとんどのケースで子供の死を避けるために母親が出来たことはありませんが、子供を亡くした母は、妊娠とわかってから、あるいはわかる前にした事、しなかった事を思い起こし、理由さがしをすることがあります。理由がはっきりしており、それが母胎理由によるものと解るとその自責の念はさらに大きくなります。
そして、一般に、誕生を待たずして亡くなった命について、母親が、そして父親もどんなにつらい思いをしているかについては、充分に認められているとは思えません。早期の流産の場合、多くのケースで妊娠していた事実が知られていないことも多く、苦しんでいる事を誰も気に留めてくれない事もあります。
妊娠していることが周知の事実で、死産をしたケースでは、生まれなかった、あるいはすぐに亡くなった事をもって、その子供の死を「早く忘れた方がいい」「なかったことにしよう」と周りの人間は過小評価する傾向があります。こういった死産のケースでは、周りの人の心無い言葉、用意したベビー服を目にしたり、 幼い兄弟からの無邪気な質問を受ける事(「ええっ?赤ちゃんが来ると思っていたのに~」)にも対応していく必要がありますが、ほとんどの親にその準備は出来ていません。
流産、死産、いずれのケースでも、その死と死のショックは過小評価されており、公認されないグリーフの一つと考えられており、心の健康が憂慮されるところです。
さらに、こういった流産や死産が、非常に多くの人に影響を与えていると考えられている点も重要です。流産に関しては、信頼できる統計がありませんが、全妊娠の8-15%、中には20%を占めるという人もおり、15%とすると年間20万人件を超える胎児が死亡している計算になります。死産(妊娠12週以降)に関しては2010年の厚生省の統計で約27,000件という事がわかっています。

人工死産

胎児に重篤な問題があるケース、母胎の外では生存できない事がはっきりしているようなケースでは、人工死産をするかどうかの選択が必要な事もあります。このようなケースでは、妊娠を継続するかどうかの選択が親にあり、時に妊娠を継続くしないことを意識的に選択しなければならない事があります。

医療現場での問題

流産、死産は医療の現場である意味切り捨てられてきました。医療者にとって、人は死ぬとそれは「モノ」になってしまう傾向があります。このような捉え方では、流産、死産を迎えなければならなかった親にどう接していいのかがわからないことが多いようです。流産、死産の体験者のお話を聞くと、ずいぶんとそうい言った医療機関での二次被害を訴える人がいます。

「私が出産したとき、なぜか外来で働いている助産師さんや看護師さんまで見学に来ていました。 私のようなケースが珍しいのか、興味本位で集まっているようでした。 私の足下で出産までの時間、ぺちゃくちゃと関係のないおしゃべりをしていました。そして、出産し、トレーにのせられた私の赤ちゃんを、まるで死んだ猫か犬でも見るような目でみていました。私は彼女たちの表情を見ただけで、赤ちゃんに会ってはいけないような気がしてしまいました。」( 『赤ちゃんの死を前にして』中央法規出版)

「何よりも赤ちゃんを大切に扱ってほしかったと思います。 私が赤ちゃんを出産したとき、『出た』といわれました。 私は出産したという気持ちだったのに・・・、人として扱われなかったようで、すごく悲しかった」。( 産科医、竹内正人の紹介する例)

深まる流産、死産、周産期のグリーフについての理解

上記のように医療機関での二次被害を訴える声が大きくなるにつれ、徐々に流産、死産においての医療機関での取り扱いに変化が見られるようになってきました。残念ながら、まだごく少数の医療機関においてですが、流産、死産の経験者、助産師などが協力して、「生まれなかった子供も確かに存在したのだという事」、「想い出を遺す事がタブーでない事」が少しずつ広められてきています。実際には、

  • 胎児との対面:数百グラムの胎児とも対面するという選択肢がある
  • 適切な対面の場所の提供と対面時間の延長。
  • 命名
  • 火葬が必要な場合の、棺に代わる箱の用意。
  • ごく小さいベビー服:ボランティアの手作りの事が多い
  • へその緒や髪の毛を形見とする、手型・足型をとる、写真を撮るといった事をタブー視しない
  • 火葬を急がせない。
  • 赤ちゃんを冷蔵庫に入れないという選択肢がある事を伝える。

といった様に、思い出を作る時間の限られている赤ちゃんと両親を医療機関が支援し、ゆっくりお別れをしたり、遺品を遺せるようにするといったことが行われて始めています。

産婦人科医の竹内正人氏の製作した動画「父親のグリーフって」には今の先進的な医療現場で出来る事が記録されている。(命名、手形足形、メッセージ、記念写真、葬儀など)
※亡くなった赤ちゃんの写真も含まれています

遅延されたグリーフ

近年、結婚、出産の平均年齢が上昇している事で、赤ちゃんの妊娠、出産は比較的短い期間に計画され、実行される必要があります(結婚してから出産に適齢な年齢の上限までが短い)。妊娠したが、流産してしまったというようなケースでは、それをゆっくりグリーフする間もなく、あるいは無意識的に後回しにして、「もう一度私達の元に来てもらう」こともあります。そして、無事子供を出産した後になって流産、死産のつらさを様々と思いだし、グリーフする事もあります。

人工妊娠中絶

2010年、京都新聞は、その特集「寄り添う 赤ちゃん死を前に」の中で、人工妊娠中絶についてのグリーフを取り上げました。この記事に対しては、望まないのに子供の命を失った親からは「身勝手だ」という意見が寄せられたそうですが、人工妊娠中絶に伴う苦悩を、妊娠から赤ちゃんの死にまつわる、一種公認されないグリーフの一つとして取り上げた新しい傾向と思われます。日本における人工妊娠中絶の数は年間20万件を超えており、中絶に関するメンタルケアの必要性に関しては今後の研究の俟たれる点と考えられます。